メモ

記事の本論とは多分ずれるんだが、ちょっと感動したので記念メモ。

我々は、名前を付けた個であれば虫ですら殺せぬのに、抽象化された集団の一員であれば平然と殺せる生き物だという自覚こそ、国民的、いや人類的な認識にもっていくべきではないのか。誰でもフツになり、誰でもツチになりえるのだ。 それではどんな時に抽象化をとどまるべきか?実はそれほど難しくはないと思う。攻撃したい集団がいたら、その中の個人の顔を思い浮かべればいいのだ。交友関係をなるべく広くしておくべき理由がそこにもある。そこに友人がいたら、それだけで拳を振り上げにくくなるではないか。


ルワンダにまつわるドキュメンタリーを見たときやオウムにまつわる問題に触れた時、そして俺にとってより根源的な問題に触れた時に俺の中に湧く感情。今まで俺がうまく言葉にできずにいた"恐怖"がここにあるような気がする。


言葉にしたところで何が解決する訳でもないかも知れないが、それでもこの言葉は俺にとって救いなのだと思う。まぁ、そんな大げさな話でもないけれども。
まだうまく自分の中で消化しきれてもいないけれど、この視点は忘れないようにしたい。ギリギリのところでは抽象化をとどまれる人間でありたい。